1. HOME
  2. 懐かしの先生情報
  3. FOR YOU TALK
  4. 橋本 春子 先生

懐かしの先生情報

FOR YOU TALK | INTERVIEW 02 下り坂のときそこで一つの強い意志を持ってほしい

橋本 春子 先生

1986年3月の邦友会誌 Vol.6に掲載された「FOR YOU TALK」記事より

前回より始まりました「For Youトーク」録音するテープレコーダー忘れ事件も相重なり、対談相手の先生にうけてしまった第一回目でしたが、いかがでしたか?
第二回目は、女性たちの熱いコールにより、我が短大の学長である橋本春子先生にインタビューしてみました。

陶磁器資料館にて

橋本 春子 先生

紅葉も終わりすっかりと寒くなった12月1日、勝美と真智子そしてスタッフ2名と今回の対談場所である愛知県瀬戸市の陶磁器資料館茶室へと向かう。
今回なぜこの場所に決めたかというと、先生は瀬戸にお住まいであり陶磁器に興味がおありになると聞いていたので、先生のイメージにピッタリくるのではというスタッフの心配りからであった。
ここは毎月、百四十ある茶器それぞれの作者の誕生月に、その作者の茶器でお抹茶を立ててくれるのである。中には数百万円する茶器もあり、私たち一同神妙な面持ちで御抹茶をいただきました。一度読者の皆さんもここへ訪れてみてください。とても静かですばらしい風景を眺めながらの一時を味わうにはもってこいのところです。
私たちの予想をはるかに上回り先生は、お茶を立てていただいた女性と陶器の話に花が咲いた。6年前にここを訪れた先生は、雑誌のグラビアに載った話や、いただいた陶器でちょっとしたコレクションの部屋ができたことなど、とてもリラックスしてお話が聞けました。

運命的な出会い

学長は瀬戸市のご出身なんですか?
「いいえ、私は石川県金沢市の出身なのよ。」
いつ頃から名古屋の方へいらしたんですか?
「戦争ちょっと前位の時だから、名古屋にいる方が長いのよ。ここ瀬戸へ来て20年になりますからね。」
(なるほど陶器に詳しいはずである)
先生、ご家族は?
「主人と娘一人と姑の四人家族なの。」
ということは、妻であり、母であり、嫁であり、また職業婦人でもあるわけですね。
ところで、ドイツへ留学なさったと聞きましたが
「ええ、大学を出てからドイツ語を通じて経済の勉強に行ったの。私は南山大学の英語科で、第2外国語はドイツ語を取っていたの。愛知大学では経済の勉強していたから。でもね、内緒だけど本当は追っかけて行ったのよね、うちの主人を!」

エーッ本当ですか?進んでる~!恥ずかしそうに頬を赤めながらおっしゃる先生は、年齢を全く感じさせない。こうして話は、ドイツを舞台に先生とご主人との馴れ初めへと発展するのです。昭和32年、お医者様であるご主人は厚生省からドイツへ、先生は通っていた教会のつてでドイツへ。

先生のご家族の方は心配されませんでしたか?
「それが私は父を早く亡くし母親の手で育てられたの。母がとても理解のある人で、女性も職を持ちそのための勉強ならどこへでも出してくれて、ドイツへ行くのも娘の自立の為と快く送り出してくれたのよ。」
その当時の母親の考え方としては、めずらしいですね。
「私の母の力がとても大きかったから、自分の苦労した分、この苦労を娘にさせまいと思ったんでしょうね。」
結婚は、留学を終えて帰国してからなさったのですか?
「そうなの。お互いの両親に反対されていたから、最終的に十年待ってくれたの。」

敬虔なクリスチャンである二人が、初めて知り合われたのは、先生が南山大学を出て高校の英語の教師をしているかたわら、教会のオルガニストとして、週に一度教会の方へ通っていた頃、ある時先生が風邪をひいて神父様に病院に連れて行ってもらい、診てもらったお医者様が今のご主人だそうである。ご主人の方は教会で見て、先生の事はご存知だったとか。

何か赤い糸で結ばれていたんですね。
「運命とは、そういうものなのよ。ですから人の運命は、目に見えない糸で引かれているような気がするの。でもその時は、そんな風に思えなくてね。診察してもらった後で手紙を書いたの。“ありがとうございました。おかげさまで助かりました”と。25~6歳の時だったかしら。戦後の何もない時代でしたからね。」

そう言って先生は、懐かしそうに遠い日の思い出を語ってくれました。何だか、ハーレクィーン・ロマンスばりの大恋愛。私たちは、先生の生き方に憧れてしまうのでした。

学長として

橋本 春子 先生

ところで先生と東邦短大とのかかわりは、いつ頃からですか?昭和38年から5年間、聖カピタニオ高校で校長として務められてから、東邦短大の方へ来られたとか。
私にとって一つの転換期だったとおっしゃった先生は、学長として2年間の任期を終え引き続き学長として再任されました。
時間的に制約され家に帰るのが夜遅くなってしまうなどの苦労話も明るく話され、女性として細やかな心配りを持ち、その反面イエス・ノーといったような男性的な面を持ち合わせ、そして何よりも気さくでいらっしゃいます。
毎日が忙しく、お手伝いさんと主婦の立場が逆転しつつある話や、どうして先生が酒豪になってしまったのかという話も、私たちの横にいる方が、学長であるなんて信じられないくらいユニークに語ってくださいました。

メッセージ

橋本 春子 先生

最後にFOR YOUトークの読者にメッセージを!
「年々、邦友会誌がりっぱになっていって学長としてとてもうれしいことだと思っています。今いろいろな場所で、いろいろな職場にみえると思いますが、人生必ずしもいい事ばかりではありません。私の人生もそうでしたが、下り坂のときそこで一つの強い意思を持ってほしいと思います。ドン底だと落ち込まないで、これ以上下がらないと思えば明るさが見えます。
つまり、If winter come's can Spring be far behind?(冬きたりなば春遠からじ)つらいとき、これから登って太陽が輝くんだという気持ちを持って、雲の上の太陽はいつも輝いているのだから、若い人はまず力を持ってほしい。苦しみに負けてはいけない、これは自分を磨く一つの試練だと思ってくじけないで上を向いて歩いてほしい。
そして、Der,den rechten Augenblick ergreift,ist der rechte Mann.(チャンスをうまくつかむ人は成功する)正しい瞬間をつかんでほしいのです。」
女性の読者の方に何か一言を
「女性には、自分の道を進んでほしいと思います。世の中、男女がペアになって生きているのだから、時期が来ればそれがどういう形であれ結婚することを私は勧めます。」

と熱っぽく語ってくださいました。

取材を終えて

波乱に富んだ人生を送ってこられた先生だけに、聞いている私たちに何か訴えるものがありました。どうか先生これからもお元気で!我が東邦短大のためにも頑張ってください。そして、お忙しい中ありがとうございました。
こうして勝美と真智子は、愛車のジェミニからいつまでも手を振っている先生に別れを告げ、茶室を後にしたのでした。

(伊藤・佐藤・佐藤・稲垣)