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懐かしの先生情報

FOR YOU TALK | INTERVIEW 06 卒業後の3年間は、人一倍努力すべきですね。

石田 隆 先生

1988年3月の邦友会誌 Vol.10に掲載された「FOR YOU TALK」記事より

お忙しいのにもかかわらず、石田先生には今回の取材に快く応じていただき、中区三の丸会館のレストランにおいてお話をうかがうことができました。
当日は、青空の広がる好天に恵まれ2時間におよぶ取材も楽しく進行し、短く感じるほどでした。

石田隆プロフィール

  • 1941年=愛知県犬山城下に生まれる。
  • 1970年=石田隆・岡本滋夫グラフィックデザイン展をひらく。
  • 1975年=第1回個展「グラフィックデザイン原画展」をひらく。
  • 1977年=第2回個展「風物詩原画展」をひらく。
  • 1980年=第3回個展「中部地方の風物詩・原画展」をひらく。
  • 1986年=うた絵本「四季のうた」民主音楽協会発行に参加。
  • 日本グラフィックデザイナー協会会員。東邦学園短期大学教授。名古屋芸術大学講師。

仕事

石田先生が初めて仕事に就いたのは、昭和36~7年の高度経済成長期真只中のこと。
当初は百貨店の宣伝部や広告代理店に席を置き、広告関係はもちろんのこと看板書きやマネキン人形作りまでしたそうです。
また、デザイナーの登竜門といわれた日本宣伝美術展にも力を注ぎ野心に燃えていたそうです。しかし、意外な方面にも熱中していたそうです。
「恥ずかしい話パチンコ。(笑)それはすごくのめり込んだね。最悪な時期は一日に2回貯金を下ろしに行ってまでもやりましたよ。その次はボーリングですかね。ボーリングはパチンコの次に凝ったのである程度は放れるんですよ。だから、今でも120~130はだせるんですよ。それともう一つは玉突きをちょっとやりましたね。4つ玉のほうね。」
パチンコに夢中だったというのにはびっくりしました。しかし、パチンコのほうはもう15年ほどされていないとのことでした。

ルーツ

先生の出身は愛知県の犬山市で、自然と情緒豊かな城下町に生まれ育ったそうです。
それが先生の作品のベースになっているんですね。
「実家は田畑を若干持っていましたからほとんど自給自足でしたね。そういう生活というのはね、今から思うとすばらしく合理性がありましたね。田植えから稲刈りをし、その米を取った後の藁を燃やし、藁灰を作り田畑にまく肥やしにしたり、火鉢に入れて暖をとったりしてね。藁自身では縄を結わいて井戸に吊るす井戸縄を作りましたね。その当時の遊びなんかも今でも鮮明に覚えていますね。」
この日先生が取材用にと用意していただいた最近の作品いくつかを拝見することができました。やはり、先生のイラストレーションには、古い家並みや農家での暮らしぶり、そして子供たちが緑の中で遊ぶ風景といったものが多く、先生の子供時代を垣間見ているようでした。
しかし、その犬山にも観光化するスピードの波が押し寄せ急激に変化しているそうです。先生もそんな現状を大変悲観され、先生のイラストレーションに夕焼けの風景が多かったのも一日の終わりを告げる夕焼け空のような寂しさが、先生のどこかにあったからではないでしょうか。

学生たちへのメッセージ

最後に今の学生や卒業生に対するメッセージをうかがいました。
「覚えることがたくさんありますからある意味では苦しんだほうがいい。自分のために勉強するんだ!という気持ちを学生時代だけじゃなくて、むしろ社会に出てからの3年間は無我夢中で今の職場の中で取得できるものはすべて取得するんだと強い意思でがんばって欲しいですね。それから、先輩・後輩といった交流の場もできる限り大事にしていいコミュニケーションを持って欲しいですね。大学を卒業したから、もうこれで勉強は終わりというんじゃなくて、卒業後の3年間は人一倍苦労すべきですね」
今、複雑な世の中はデジタルのように簡略化されようとしています。1か0、有か無。しかし、それでは石田先生のイラストレーションからは何も感じることができないでしょう。
一つ一つの過程を大事にするアナログな心でないと。
石田先生、お忙しいところ取材にご協力いただきどうもありがとうございました。