personal34短大23回生 奥村 正俊さん 関山 明久さん

あの人、この人 | INTERVIEW 34学生時代から、遊びも仕事も一緒に・・・

「ゆで作」など経営 短大23回生 奥村 正俊さん
「関山とうふ店」など経営 短大23回生 関山 明久さん

邦友会誌 Vol.55(2019.10)に掲載された記事より
「ゆで作」など経営 短大23回生 奥村 正俊さん / 「関山とうふ店」など経営 短大23回生 関山 明久さん

今回は、短大23回生の奥村正俊さんと関山明久さんです。奥村さんは「ゆで作」等を経営。関山さんは「関山とうふ店」等を経営しています。お二人とも学生時代からの友人関係を発展させて、良い関係を続けているのが羨ましいですね。ゆで作では関山とうふ店の商品を使っているんですよ。配達の途中、時間をさいていただき、ゆで作さんで仲の良さがうかがえるお話を聞かせていただきました。

奥村 正俊さん 関山 明久さん

Qプロフィールを教えてください

(奥村)1968年11月10日生まれ、50才。1989年に東邦短大を卒業して、実家の経営するレストランで働いていたんですが、その後、おもちゃメーカーに転職し、25歳頃まで会社員でした。24才で結婚し、現在25才の娘と22才の息子がいます。

(関山)1969年3月6日生まれ、50才。1989年に東邦短大を卒業して、証券会社に就職。1年くらい会社員として働いていました。実家の豆腐屋を継いだのは24才頃からです。26才で結婚し、現在21才と14才の娘がいます。

短大23回生です
関山さん、ボートの大会にて

Q今の仕事を始めたきっかけは?

(奥村)会社員として働いていた時、父親に「またお店がやりたいなぁ」と言われ、「じゃあ、やるか」と。25才頃に岡山のうどん屋に修行に行き、その後父が経営していた洗車場の一部に小さいセルフのうどん屋を始めました。近くにパチンコ屋等があって、順調にお客さんも増えていったので、セルフをやめて現在のお店のかたちにしました。もう20年経ちます。

(関山)卒業後、勤めた証券会社には1年ほどいました。退職後、人材派遣会社、コンビニ、パチンコ屋等たくさんの仕事をしました。豆腐屋は学生の頃から配達の手伝いはしていましたが、本格的に働き始めたのは24才頃からでしたね。

Q仕事の内容は?

(奥村)基本は火曜日休みです。朝お店に行き、仕込み、掃除し、平日は、経理、事務仕事等をしています。土日はお店にいる事もあります。ランドリープラザ晴丘(同敷地内)もあるので、クリーニングの集配に行くこともあります。

(関山)平日忙しいときは4時~5時起き1人で7時頃までに豆腐の製造。8時半~10時に学校等へ配達。戻って10時半~11時に製造。11時~15時に個人宅やお店へ配達。15時~17時に戻って製造。17時からは居酒屋さん等へ配達。18時~22時に後片付けと翌日の仕込み。休みは日曜日のみです。

ゆで作のみなさん

Q趣味は?

(奥村)ゴルフか!飲むか!短大時代の友人とゴルフに行ったり、飲みに行ったりしています。

(関山)とにかく体を動かすのが好きです。今、はまっているのはボート競技です。筋トレ中に誘われて、いつのまにかボートを漕いでいました。中学校でPTA会長だったので、バレーボールもやりました。休みの日は運動しかしていないです!

関山さん、趣味のボートで

Q学生時代の思い出は?

(奥村)男子の人数が少なかったですが、なんとか活動できるくらいはいたので野球部にいました。四日市まで試合に行ったこともありましたね。体育の授業でスケート、ボーリング、カーリング、テニス、卓球いろいろできて楽しかったです。

(関山)バスケットボール部での合宿。2年連続で全国大会に行ったことです。練習は男女混合でやっていました。楽しかったです。

Qこれからの目標は?

(奥村)子どもたちのこと。娘が結婚して早く孫の顔が見たいですね。まずは健康第一で元気に仕事ができるようにしたいです。

(関山)とにかく怪我をしないように仕事をしたい。健康第一ですよね。ぎっくり腰にならないようにしたいです。

Q卒業生にひとこと

(奥村)(関山)近くに来た時には、お店に寄ってください!!

取材を終えて

卒業後、久しぶりにお会いしましたが、学生時代のままでとてもうれしかったです。お2人のがんばっている姿に自分自身も元気をもらい、またがんばろうという気持ちになりました。
奥村君、関山君、ありがとうございました。

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