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邦友会総会のお知らせ
邦友会総会へのお誘い
2026年8月30日(日)愛知東邦大学キャンパスに於いて邦友会記念総会および懇親会を10年ぶりに開催いたします!!「邦友会」は、設立60年になります。総会開催に向けての準備をこれから進めるところですので、今61号の会報誌『HOYU』では詳細等お伝えする情報が少ないのが現状です。ですが、開催にあたりたくさんの卒業生の皆様に出席していただきたいと思いますので、開催日時等のみで申し訳ありませんが決定事項をお知らせいたします。
詳細につきましては、HPや次号の会報誌『HOYU』で今後はお知らせいたしますので、しばらくお待ちいただけますと幸いです。来年度になりましたら、参加申し込みを開始したいと思います!
皆さんお誘い合わせの上、ご参加くださいますようよろしくお願い申し上げます。
邦友会会長 森川早苗
「同窓会総会」を開催いたします
「同窓会総会」を開催いたします
2021年コロナ感染症拡大の影響で開催を見送り、10年ぶりに開催いたします。今回もまた大学に多大なご協力をいただき、大学内の開催を決定しました。この機会に是非、母校にお越しください。
詳細は、次号『HOYU62号』でご確認ください。企画立案段階ですので、開催できない場合もございますので、ご了承いただきますようお願い申し上げます。
2026年8月30日(日) 時間は未定
会費:未定
場所:愛知東邦大学内

キャンパスツアー
大学施設の見学ツアー
ホームカミングディイベント
- 2019年度卒業生の卒業式
2019年度生は卒業式が開催できませんでした。
長い間お待たせしましたが、卒業式イベントを開催したいと思います。(大学で協議中)2020年3月卒業(大学16回生)の皆さん是非ご参加ください。
- 大学開学25周年
皆さんも同期会・OB会を開催しませんか?
会報誌上で告知のお手伝いいたします。ぜひ、この機会をご利用ください。
集めたいグループ名をお申し込みください。『HOYU62号』(2026年5月頃発送予定)でお知らせいたします。
第10回邦友会総会記念講演会
前回開催時の増田孝客員教授の講演録の抜粋を掲載させていただきます。諸事情により掲載が遅くなってしまい申し訳ありません。前回同様、皆様方に楽しんでいただけるようなイベントを企画中です。皆様、是非お越しくださいますようお願い申し上げます。
講師:増田 孝 氏(愛知東邦大学 人間学部教授)(現在:客員教授)
2016年9月4日開催
愛知東邦大学LCホール
ただいまご紹介いただきました増田孝です。
今朝、「なんでも鑑定団」のHPを見てきました。1994年に始まって今年で22年目。当初はそんなに続くとは思われなかった番組けれども、始まったら視聴率が20%越えで、今でも10%越えていますので、テレビ東京の長寿番組の代表ではないかと思います。なぜ、長寿番組になれたか。私がどういう立場で、なぜ鑑定団に出て、何を言おうとしているのかを話したいと思います。
番組が始まったのは1994年。バブルがはじけて不景気で、立ち直れないような時期で、もしかするとうちの押し入れや引き出しの中にもお宝があるかもしれないと思うのは、バブルに浮かれてじゃなくて、本当に歴史的な価値のあるものがあるかもしれないという、テレビを観て、そういう気持ちと放送内容とが波長が合ったのでしょう。20年以上続く番組は、私たち鑑定士も一生懸命やっておりますし、ディレクター、プロデューサーもマンネリ化しないよう頑張っています。スタジオ収録は1時間半位ですけれども、放送は40分くらい。もう少し短いかもしれない。あと出張鑑定が19分挟まりますので、本当に細かくカットされています。それには不満もありますけれど、6・7分喋った寸評が3分にカットされたりします。上手に繋いであるなぁと感心しています。
視聴者の方から、リハーサルはあるのかと聞かれます。あらかじめ下見して調べて、セリフや台本があるんですかと言われます。ぶっつけ本番です。台本もないです。リハーサルもありませんので苦労もあります。私の場合は、レギュラーではないので、出番がある時だけ行きます。他のレギュラー鑑定士たちはずっと段の上に座っています。私がいるときは古文書が出るなとお分かりいただけると思います。
応募というのはお宝の写真、持ち主の方がパチパチと撮った写真とお持ちのエピソードを書いたものがたくさん全国から送られてきます。その中から「書」だけをピックアップしたものを予め予備選考します。その中の例えば、稀ですけど坂本龍馬の手紙があった。龍馬の手紙は、古文書の世界ではほとんど現物はない、あっても然るべき資料館とか所蔵者が判っている、ですから今更新しいものが出てくるはずがないというのが通説です。しかし出てくることもあるので、坂本龍馬書簡集に載っているかどうか。載っていたら現物や所蔵者が変わって出たことになります。そういう情報をある程度判断する。文章の場合は途中だけの写真やピンボケ写真は困ります。でも一応判断します。ある程度分かりますけど、それはまだ鑑定じゃないです。鑑定は現物を見て初めて鑑定になります。予備選考の段階で、これは大丈夫かもしれないというものに、ディレクターが持ち主のところに行って、寄りの写真を撮ってきます。それを見て、これはもしかすると大丈夫そうだとなったら、今度は依頼人と鑑定士のスケジュールを勘案して収録日を決めます。そうしたら例えば収録が一週間後に設定されると、お宝について喋る内容を私が用意しなければならない。いいか悪いかまだ分からないけれども、内容についてある程度調べておく。そうすると私は図書館行って、博物館行って、あるいは色々なネット上の情報も合わせて、それが正しい情報かどうか確認しなければならない。一週間後にスタジオ収録当日の本番。収録の始まる1時間くらい前に入る。依頼人が入ってくる。依頼人の前に観客を入れる。ちょっと裏でこっそりお宝を拝見する。当日初対面というのは嘘偽りないです。1時間くらい早いだけです。だから、それまではこっちも本物か偽物かわからないけれど、写真だけで判断できる程度の検討はつけておいて、現物を見たら、判断する。本物だったっていう場合もありますし、それは現物を見てはじめて判断する。例えば紙の調子だとか、墨色ですね、肉質や墨で書いたものと印刷との違い。こっそり教えますけれど、墨っていうのは、最初書き出しのとこはたっぷり墨を含んでいますから、紙の裏まで滲むくらい墨量が多い。ところが書いていくうちに筆がかすれてきます。そうするとほとんど裏に滲むほどの墨量がない。したがってリズムというかボーンと墨のついたところとかすれたところの美しいリズムが、見たときに分かるんです。印刷はどうかっていうとインクで平面的に印刷しますから濃いところも墨がたっぷりついたところもかすれたところも同じ調子でしか出せない。これは見ていただければわかる。ある程度慣れていただければわかりますので。例えば裏から見たり、光で透かして見たりすることで、ある程度判断できます。写真では無理です。紙を見る。大事なのは、戦国武将の文書というのは、戦国時代の紙に書かれている。紙を見たときに江戸時代の紙だったら、これは江戸時代の文書だ。つまり江戸時代に模写されたものだと判断します。そうすると価値がやっぱり写本、印刷とは違います。原本であるか写しであるかというのは価値が一割くらい下がる。一千万のものだったら百万くらいです。中途半端だけど資料的価値はありながら現物ではないよということ。印刷だったら一万円ということ。そういうフェアな評価をするようにしています。私も出始めの頃は大分面喰うこともありましたが、何年か経つうちに慣れて、あの番組は学者、研究者が出て調べたことを言うのはいいけど、値段をつけるとは何事だという風潮が初期の頃はありました。あんなところに学者は出ちゃ駄目だとね。僕は出て評価するのは当然のことだと、自分なりに思っています。美術品が市場に出回っているのは、評価、売買の対象になっているからです。例えば、これは本物ですと言っても、これは偽物だけどねと言ってもただそれだけだとピンとこないじゃないですか。数字で表すことによって、それほどご存じでない方も、価値があるんだと分かります。例えば、国宝級のものなら十億です。十億単位。大体ざっとそう思っておいてください。なかなか書ではそういうもの少ないです。坂本龍馬のものが何年か前に出ましたね。一千六百万。手紙が一通。まくりというのは、表表装から剥がして中身だけにしたもの業界用語です。それが、一千六百万。それは適当に一千六百万と言っているのではありません。実際は東京でのオークションで出た時に、一千六百五十万までいって競り落とされた経歴があります。私は、それよりも充実した内容の長い手紙が出てきた時に大威張りで一千六百万とつけてやろうと思いました。実はそれが三通でしたか四通でしたか纏まって鑑定団のスペシャルで出たことがありまして、大変な値段を付けました。欲しい人があれば値段というのは高くなります。こういう市場の原理だと思います。
古文書というのはいつまでが古文書なのか。いつからいつまでが古文書なのかという定義が難しいんです。歴史の方では古文書というと江戸時代までかなと漠然と勉強し始めた時に思っていました。今はそうじゃないようです。例えば、戦後の内閣総理大臣吉田茂の書が出た時に、何でも私のところに持ってこれば読むだろうと思った鑑定団の人がいました。これは古文書じゃないよと言えないので、悔しいから読みました。日本の政治家の書で評価すべきものはあの番組でも吉田茂さんあたりが一番新しい人です。それ以後の内閣総理大臣はこちらがNGを出して、取り上げないことが多い。戦争中の軍人ではあまり出ないけど、割と人気があるのは明治の頃の乃木希典とか東郷平八郎とか。それから太平洋戦争の頃であれば、山本五十六さんは書が上手な方です。本当に感心するくらい上手な方です。あの方の書はたくさんあります。絶対取り上げないものというものがありましてね。例えば、明治天皇や大正天皇の物は少ないけど、たぶん出てもやらないと思います。歴史上の人物だと後陽成天皇(ごようぜいてんのう)や後水尾天皇(ごみずのおてんのう)は取り上げます。古文書の定義というのは、古いところでは日本にはたくさん残っていますよ。奈良の正倉院文書というのがあります。奈良の正倉院文書というのは、本当に740年750年くらいの奈良時代の文書が一文として残っています。本当に貴重な世界的にも貴重な文書だと思います。そういうものから始まって、もちろん正倉院文書なんかが鑑定団に出ることはないです。なぜかというと流出してないですから。ところがたまに江戸時代に流出したものが、保存されて今出ることがある。だから絶対ないとも言えない。我々も用意してなきゃいけないんです。偽物ばかりです。
私がどの時代が専門なのかというと、私自身は安土桃山時代、戦国から江戸初期にかけての時代の書が大好きです。平成11年から愛知でご縁があり、愛知東邦大学では平成15年から、最初にこちらに来たきっかけは、名古屋だけど古文書教えてくれないかという話をいただいて、名古屋は近いということと、名古屋は日本の歴史を考えた場合、岐阜の織田信長、それから尾張の豊臣秀吉、そして三河の徳川家康と私の好きな時代の人物が集中しているんです。せっかく名古屋からお呼びがかかったのに断る手はないだろうと思いまして、こちらに通っております。ありがたいことに、名古屋は鑑定団の視聴率が全国1位です。全国平均より10%くらい高いです。本当に名古屋の人には感謝申し上げています。私は戦国時代から安土桃山・江戸初期にかけての書が好きで、それを解明するのが私のライフワークです。中世がありそして応仁の乱という戦国乱世、京都を中心に、日本全国が戦国時代だった。応仁の乱に続くその長い戦争の時代が終わり、信長は天正10年6月2日に本能寺で倒れましたけれども、全国統一をしようという大きな望みを受け継いだのが秀吉です。その秀吉が慶長3年に業半ばにして、完全に統一することはできなかったけれど、大きな一歩を踏み出して亡くなった豊臣秀吉。年号で言うと天正、文禄、そして慶長。慶長5年に関ヶ原の戦いがありました。1600年というのは関ヶ原の戦いで、その3年後、慶長8年に家康が江戸に幕府を開く。その時代は中世の戦乱が終わり平和な世の中で、平和といっても一瞬にして平和になるわけじゃないです。あちこちで小さな戦争があって、最後日本で行われた戦争は、慶長19年(元和元年)の大阪冬・夏の仁です。あれは大阪に幕府をと秀吉の遺児である豊臣秀頼と、母親の淀殿がおこしました。不穏な情勢を感じた家康は豊臣家の残党をしっかり選別した結果、徳川家の安泰に繋がった。元和年鑑は慶長19年の大阪冬の陣、そして元和元年の夏の陣が終わり、ここから日本は平和が訪れ、内乱がない時代になった。元和という平和な世の中を作る。その時期に庶民はどうだったかというと、戦争は兵隊に駆り出されますから、国内での産業が振興しない。戦争が終わった安土桃山時代から江戸初期にかけて、経済的に豊かになった。これは秀吉の推し進めていた佐渡の金山の開発や庶民も生活が豊かになる。その豊かさを享受できる時代が文化を育む大きな基盤になります。例えば、食事です。中世の日本人の食事は2回です。朝と夜食べるだけ、一日のカロリーが十分ではありません。これは食べるだけの経済力がない。ところが、安土桃山から江戸初期にかけて日本人は3食になるんです。朝、昼、夜、これで十分なカロリーが補えるようになりました。これは社会、経済全体が豊かになってきて、食べていける時代になってきました。そうすると戦国が終わり、日本が統一されていき、経済的にも非常に豊かになった。ひとつの車の両輪なんですね。そして、例えば京都の豪商で茶屋四郎次郎とか、角倉了以、その子供の素庵などは京都、堺、それから博多といわゆる外国貿易の拠点を中心に、フィリピン経由で東南アジアとの交易が非常に盛んになってきました。これは時代のエポックメーキングですね。前時代と大きく異なる社会経済の発展です。庶民が豊かになった証として、いろんな物を輸入して集めると関心が出る。同時に、絵画もそうです。例えば、俵屋宗達という絵師や海北友松(かいほうゆうしょう)は、豪華絢爛たる桃山文化を形成する芸術家たちです。私は安土桃山時代が専門だと言いましたけど、もっと細かく絞ってみると本阿弥光悦という京都の刀の家。刀に関する仕事を代々の家職としている家に生まれた芸術家で本阿弥光悦という人がいました。永禄元年寛永14年京都の高峯にいました。その生涯に残された手紙がいま500点以上あるんですが、これを集めて研究対象にしています。本阿弥光悦は町衆のひとりで、生まれ育った環境が安土桃山時代なんです。ここで書の話に戻りますが、中世、戦国時代までの書は端的に言うと面白くないです。京都の公家たちが決まりきったスタイルの字を書いておりまして、芸術が花開かない時代なんです。やっぱり戦争がそうさせているんじゃないかと思いますが、戦争が終わり経済的にも豊かになった。庶民に余裕がでてきた江戸初期にかけては芸術の花が開く。それが安土桃山文化という。絵でも、書でも、焼き物でも。焼き物ですと、素晴らしい焼き物が生み出された時代が安土桃山時代だったんです。そして本阿弥光悦を含めた三人の江戸初期の能書家がいます。能書家は字や書の上手かった人のこと。本阿弥光悦、京都の公家の近衞信尹、もう一人、京都の南の石清水八幡宮の松花堂昭乗というお坊さん。この三人は江戸初期の三筆といわれており、そういう人たちが活躍したのがやっぱり桃山から江戸初期の時代です。大変書として魅力のある時代だったので、私は書が好きなものですから、本阿弥光悦の書で、研究をし続けております。今でも写真に撮らせてもらって集めております。
その今松花堂昭乗の話を少しします。松花堂昭乗は石清水八幡宮のお坊さんで、明治元年に神仏分離令が出て、それまでは神社の中にお寺が一緒に同居していた。廃仏毀釈でお寺は追放するんです。あの頃は本当にむちゃくちゃなことをやりました。一種の文化財革命。神社にあったすごいお宝の仏像も非常に粗末に扱われて、琵琶湖の東側にあるお寺にこっそりと運ばれました。今でもそこにあります。そういう文化財的には不幸な時代がありました。それによって神仏が分離した。それ以前は石清水八幡宮という神社の中に真言宗のお坊さんが一緒に同居していた時代がありました。石清水八幡宮の神社で神道の社家と僧侶は仲が良く同居して、喧嘩しながら同居している。その社家の志水甲斐守という人がいました。源頼朝が戦争に出る時に、戦争で負けないように祈願する。特に石清水八幡宮に信仰を厚く持っていた。家康もそれに倣ってあやかって石清水八幡宮に祈願をしていました。その社家の娘ですごい美人がいました。それがお亀の方。後にその方が生んだ息子さんが義直公です。だから尾張徳川家の藩祖の義直公は石清水八幡宮の社家の娘が生んだ子供ということから、石清水八幡宮と尾張と縁が深いんです。尾張では相応院として、義直公の生みの親です。石清水八幡宮に行ってみますと、歴史家の間では「お亀さん、お亀さん」と親しみを込めて言っております。
私はこの15年くらい縁があって、ここで自分の資料を集めて勉強をしたくて、尾張に来ました。さっき鑑定団の視聴率が日本一高いと言いましたが、栄の地下街を歩いていますと頑張ってねって声よくかけてくださいます。一応ご挨拶だけはと思い、軽く会釈はするんです。声をかけてくださって大変有り難いです。ああ観てくださっているんだなあと思います。
この前も地下鉄の電車の隅の方に座っていましたら、隣の車両から移ってこられて声をかけてくださる方もいました。
私が研究のための資料を探しに自分の足を使って日本全国、外国にだって行かなきゃいけないこともあります。鑑定団は、向こうから資料がきてくれます。年に1回くらいは「お~、これは今まで探していた資料だ」というものが、あります。そして、ディレクターがちゃんとした写真を撮ってくださるので、研究者として勿体ないと思って、恩恵をいただいています。お陰様でそれで論文も書けますからね。大変ありがたいことだと思っております。まぁ、あの番組が続いているのも、ディレクターが本当に毎回、ガイドのVTRをきちんと作り直してきます。同じ人のものが出ても違う観点で話すようなガイドのVTRを作っています。鑑定士の寸評の前にお宝の概説がVTRは為になると言ってくださる方がいます。私は、あれは教養番組だと思って一生懸命取り組んでおりますので、これからもどうぞご声援をよろしくお願いいたします。どうも今日はご清聴ありがとうございました。

